2007/07/20 Wrote.

I introduction.

□一度引退したMAD作家が顧みられることは稀だ。それは過去にどれほどの作品を遺した人であっても同じ。泡のように生まれては消えるMADムービーがWebに氾濫し、映像共有コンテンツの普及によって今となっては入手困難になってしまったMADが楽しめる。
□静止画MADが生まれて約8年。流れの速いエンタメの世界にあっては決して短い年数ではなくMAD界隈の歩みも平坦な道のりではなかったが、なかなかどうして見ていて飽きない世界でもあった。今は遠ざかってしまい、その後の発展がどのようであったかは知らない。当時を振り返れば数多の作家中、一際異彩を放っていた「霧島緑」という作家がいた。何も語らないからDOMなのだが、彼の作品について全く語らないまま気が付けば作家が引退してしまったことを今でも残念に思っている。もっとも、霧島自身が多弁な作家であり、その語りは確かな技術に裏打ちされた示唆に富み、いちDOMがとやかくいう必要もなかったのだ。また、そのように多弁であったからこそ、今でもこうして多くの文章を書くことが出来るほどの情報量を遺してくれたのである。
□時代が移り動画もタグを貼り付けるだけで良い時代になった。二次配布の禁止で揉めたような当時からすれば、随分と変わったものだ。
□そんな当時を懐かしみながら、此処にMAD作家、霧島緑の銘を刻もうと思う。

II abstract.

□HN 霧島緑 1999/08/25〜2004/08/24
□MAD作家。初期には動画MADを手がけ、後に静止画MADへ。歴代MAD作家の中でも屈指の実力者。IRIS以降、多くの作家が3Dへと流れた中で、デジタルアニメーションなど、2D素材方面の技術にずば抜けた才能を発揮した。
□現在は商業デモムービーなどで活躍しているらしい。
□実年齢が高いことやその言動の重厚さから、長老、大老、御意見番、御隠居、MAD界の良心、ゴルゴ、などの異名を持つ。みすと、みすとあいらんど、などと呼ばれることもある。
□5年余の活動のうち後期3年あまりの間に発表された作品が高いレベルにあったことは疑いない。自他の技術に関しては掲示板などを使って議論する場を設け、時に丁寧に解説を加えている。
□霧島は技術普及者としての側面も持っており、こうしたオープンソースの姿勢が多くの作家たちやMADテキストサイトに支持された一因であろう。
□2003年静止画M@D大賞の時、崩壊しかけた企画を立て直して再出発させるなど指導力を発揮することもあったが、影役に徹して表には出てこなかったので公式の記録には残っていない。
□ともすれば勢力争いになる静止画MADの世界で融和に努めた人物でもあり、穏健派と言える一方で短気だとする意見もある。
□良きにつけ悪しきにつけ、霧島はMAD界に影響力を行使しうるカリスマであったろう。ただ、これまでカリスマと呼ばれるような作家や団体は閉鎖的であったため、謎のベールの向こう側故のカリスマ性であった。このためオープンな霧島をカリスマと認識する人は少ない。
□これも彼の不幸であるのかも知れないが、他の作家が作れば驚異的なマジックであっても「霧島ならこれくらい当然」といった認識で日常の一コマに埋没していたようにも見える。
□フェアリィ情報局は2004年8月24日、<フェアリィ情報局・グッドラック>のタイトルを残し、トップページとリンクを残して閉鎖された。
□サイト名「フェアリィ情報局」は神林長平「戦闘妖精・雪風」から派生しており、<グッドラック>は、「戦闘妖精・雪風」の続編、「戦闘妖精・雪風<グッドラック>」から来ている。最後までMADの本筋とも言えるパロディ精神を貫いたようだ。
□「雪風」の続編が出れば復活するのではないかとの憶測もあるが、現在に至るまで復活の兆候はない。

III works memory

□初期には幾つか動画MADを手掛けており、「残酷な木之本のテーゼ」や「さくらのTo-Heart」など、いかにも「CCさくら」と「エヴァ」のファンらしいユニゾンMADがある。これらも楽しいMADではあるが、動画方面とはあまり接点がなかったのか、その後お遊び風の小品が幾つかあるだけで、本格的に動画MADへ参入することはなかった。
□爆発的売れ行きとなった「Air」がKeyから発売された直後、「AIR〜プラチナ〜」を送り出し、「俺の巫女さん応援歌」などの静止画MADを発表したが、お世辞にも注目を浴びるほどの斬新さはなかった。
□当時は華音賞や新人賞、JB爆賞などの企画が盛り上がっていたが、霧島はそれらの企画に参加していない。有象無象の作家として完全に埋もれた状態であったが、2001年5月、「マシンメイディンOP(捏造版)」の発表で注目を集めた後、「やきいもDEMO(捏造版)」通称「やきいもベンチ」でマシン自慢の視聴者に火を付け、「AIR_Platinum_Another」、「Tears_The Long GoodBye」等々のハイレベルなムービーを手掛ける。
□著作権的には微妙なMADであるが、これを庇い存続させようと原著作権者に対して低姿勢を通したことも特筆すべきである。あくまで「ガキの遊びなのでお目こぼしして下さい」というスタンス、公開ポリシーを貫いた。


「マシンメイディンOP(捏造版)」(2001/05/15)

□消滅したブランド、Evolutionの「マシンメイディン」をソースにしている。この作品でそれまでのカタチから方向を変え、神月社や乃怒亞女に代表されるエフェクト多用型のムービーとなり、俄然注目を浴びる。その後の霧島作品からすれば驚くほど荒削りではあるが期待作家の一人となる。


「やきいもDEMO(捏造版)」(2001/09/27)

□ユニゾンシフト「胸キュンはぁとふるcafe」をソースにしている。同時期に現在商業デモで活動中の土星(Saturn)が同じソースで作っているが、互いが互いを「ライバル」と記していたことから二人は交流があったようだ。このムービーは当時としてもハイレベルであったが重量級ムービーとしての知名度の方が高い。(たぶん)MAD初の800x600に加え、 60fps、MPEG4と、馬鹿みたいに再生スペックを要求するムービーで、当時のマシンではベンチマークと化していたため「やきいもベンチ」の通称で親しまれた。


「AIR_Platinum_Another」(2001/11/28)


□初期に発表された「AIR〜プラチナ〜」のリメイク版と思われる。僅か1年の開きしかない二つの「プラチナ」を対比させてみると驚くべき進歩であり、技術的な作家の間では高い評価を得た。他のAir MADでは見られない特殊表現も多く技術力の高さは窺えるが、実験的であり総合的に人気を得るまでには至らなかった。この作品が発表される少し前に引退した乃怒亞女が、同じソースで異なるバージョンを作った時のタイトルを「○○ Another」としており、乃怒亞女に対するリスペクトとも受け取ることが出来る。そのためか「えあぷら穴」などと表現される場合もある。


「Tears_The Long GoodBye」(2002/05/29)


□ageの人気作「君が望む永遠」をソースにし、君望MADの最高傑作に推す声も高い。霧島ファンの間ではTTLGで通る。「Tears」は、ソースとなった曲名から、「The Long Good-bye」は、レイモンド・チャンドラーの傑作ハードボイルド「長いお別れ」の原題から採られているが、「君が望む永遠」のモチーフを端的に表現していることも見逃せない。現在商業デモで活動中の神月社が制作した MADに「Good-Bye Tears」があり、このタイトルを意識したとの説もあるが真偽は不明。ゲーム内容をCOOLにトレースし、ハイレベルな編集技術とソース画像の変幻自在な加工技術を駆使。捏音たむの「Awareness」を意識した部分がモーフィングやフィルム回しなどに見られるが、2Dアニメーション技術の片鱗も、既にキャラの歩きなどに見え隠れしている。

■■
□この直後2chで霧島を叩く書き込みが続き、2002年10月20日フェアリィ情報局は「フェアリィ情報局・冬」とタイトルを変え凍結期間に入ることになる。ネタ元は「戦闘妖精・雪風」の第5章「フェアリィ・冬」。凍結にあたってもパロディ精神を忘れないあたりが霧島らしい。凍結期間中はトップページで時々メモのようなものを書き綴っていた。
□この時期に一部のMAD作家によるデモ屋予備軍としての活動が活発化する。フェアリィ情報局の掲示板で数多くの発言をしていたTもののふ(現在デモ制作者)が「霧板避難所」を立ち上げ、霧島の掲示板難民となった人々を受け入れる。この掲示板で「MAD上等」を宣言していたGrooverなどのブランドソースを使ってMADを作る「合法」大会が催された。途中の経過を読むと、ここでも活動休止中であったはずの霧島がこの大会についてアドバイスしていたらしい跡が見られ、霧島が現在のデモ業界に深く関わっている理由が垣間見える。この時点で霧島にデモの誘いがあったのかどうか定かではないが予兆のような出来事である。
□2003年3月28日、フェアリィ情報局は「フェアリィ情報局<改>」となって全面的に凍結を解除する。<改>は一時絶版となっていた「戦闘妖精・雪風」が、復刻にあたって「<改>」と付けられたところから。
■■


「マナ、心の向こうに_finalβ」(2003/03/22)


□約半年の凍結期間を経て、復帰第一弾。この作品で初めて原画の差分から中を割ったアニメーションが披露された。ソースはやはり「君が望む永遠」だったが曲が古い。敢えて古い曲を使ったとの見方もある。ほぼ同時に、フェアリィ情報局の日記で「βtest03」という実験的な映像が短期間アップされている。keyの「Air」を完全にアニメーション化した、30秒足らずの試作品。2003年当時「Air」アニメ化の3年も前のことである。これを幸運にも見ることが出来た一部の視聴者は驚きを隠せなかったという。


「The End of Childhood」(2003/12/1)


□スタジオ・メビウスが長い延期の末に発売した「SNOW」をソースにした、二部構成・5分超のムービー。タイトルの由来は「幼年期の終わり」で、 A.CクラークのSF小説原題からと思われるが、2chスレッド「みなさんのおすすめむび〜幼年期の終わり〜」に由来するとの説も有力。また、映画版エヴァ「The End of Evangelion」をパクったとも言われ、結局その全部じゃないか、との意見もある。作品としては原作ファン以外へのアピールが弱く、凡作扱いになっているのが現状。霧島作品の多くが「つまらない、面白くない」と言われる原因は、その実験的性格や原作ファン以外を置き去りにしていることもあるが、原作ファンには堪らない演出を多数盛り込み、3Dと2Dアニメを融合させることにも成功している。本格的な2Dアニメーションの導入は、まさしく「幼年期の終わり」であった。この時、静止画MADは幼年期を脱するか否か選択の岐路に立たされたはずなのだが、多くの意思は幼年期を望み、幼年期を望まなかった霧島は去ったということか。あるいはMADとは幼年期以上になるものではなく、霧島がイレギュラーだったのだと見る向きもある。


「Sylphus Verschwinden」(2004/07/13)


□Leaf「天使のいない12月」をソースに、キャラから背景まで全て自作した、限りなく自主制作アニメーションに近い手法で作られたムービー。タイトルは、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」の一節で「風精よ、消え失せよ」と訳される。自らを「風精」に見立てた、自虐的なタイトルである。「Sylphus(風精)」がフェアリィ情報局を象徴しているのはいうまでもないが、もう一つは再三登場する「戦闘妖精・雪風」で主役となる戦闘機「シルフィード」に引っかけたものだろう。この作品では、人物は全てデジタルセルアニメ。背景も全て自作で、限りなくオリジナルアニメーションに近い手法で作られたMAD。ただ、MADではないとの異論もあり。MADのことをあまり知らない視聴者には、時々オフィシャルと間違える人もいる。実力のあるアニメータならば、プライドにかけてトレースアニメなど作らない。アニメータでなければ相当の実力がなければ作れる訳がない。霧島の位置にいる人間だからこそ生まれたものだろう。MAD以外で生まれようがない、存在自体がMADである希有な作品。ファイル名と拡張子を変えることでゲームのOPと入れ替え、楽しむことも可能。

IV signature

□霧島緑とは、静止画MADというジャンルの中でどのような位置付けにいる作家だったのだろうか。

□静止画MADムービーの創始者・るかか。エフェクト多用型MADの創始者・乃怒亞女。3D MADの創始者・捏音たむ。霧島緑は、所謂「アニメ」の創始者である。動画MADのことではない。文字通り「アニメを自分で描い」たのである。今の時代ならば、これだけでもかなり賞賛を得ただろう。しかし、彼の業績はそれほど評価されなかった。MADという閉鎖的な世界であったことも一因だが、「模倣者」を生み出さなかったことが大きい。静止画MADの世界とは、全てが作家たりうる世界でもある。DOMと作家の垣根は極めて低い。昨日までのDOMが明日の作家になってしまうことなど珍しくない。3Dやエフェクトプラグインが何故もてはやされるかといえば、模倣、すなわちツールを所有することで他と同じことが出来ると錯覚してしまうところにある。このためツールの使いこなしこそが重要であり、ツールによって共有化出来ない技術など誰も求めない。そこへ辿り着いてしまったことが霧島の不幸だったといえる。
□多くの例が示すように、一つの芸が生み出されると、多数の模倣者が現れ、互いに競い合うことで洗練されていく。霧島が到達した領域は、従来型MADが辿り着ける領域ではない。FLASHに見られるアニメーションの世界に近似のものが見られるが、それでもFLASHの中でさえ限られた人間のみが扱える領域である。彼のアニメに関してはMADではないとの異論もある。また、「ショボい」素人アニメであることも事実だろう。しかし、彼のアニメについて出来を云々するならば「この程度の素人アニメ」すら実現出来ないMAD技術の幼稚さを自ら裏付けることになる。もし、霧島の全盛期が華音賞の頃と重なっていたら。あるいはオンラインビデオのようなメディアが発達していれば。「たら・れば」は禁句だけれども、静止画MADの歴史からすれば4年ばかり遅すぎた、あるいは早すぎた才能だった。

□引退とサイトの閉鎖によって、MAD界における最後の理論的指導者が失われ、「DTP初心者講座」や「むび雑感」、「FIA作戦課情報収集室(掲示板)」など、従来のMADが持ち得なかった視点から記された数多くの技術資料と、それについて解説される機会が失われてしまったことは大きな損失であると言わざるを得ない。
□彼が最後に遺した作品が、徹底的とも言えるほどに自作アニメに拘ったのも、「オレもここまではやった。おまいらもこの程度はやれるようになってみろ。」という叱咤激励ではなかったか。言葉でもなく文章でもなく、作品で示すことによって、アニメーションをTVアニメなどの商業レベルから、敷居を一段下げたのである。霧島は静止画MADを動画の一つの可能性として評価していたことは、数々の言動からも明らかだ。出来るだけ多くの作家が自らを高みに引き上げたいと望むようになること、それが霧島の願いであったかも知れない。

V unknown episode

□2004年夏コミケの時期に、霧島引退記念オフが開かれたらしい。Crew uk、軍魔、Saw、Smithなど、折々にMAD sceneを飾った人々が十数名参集したと聞く。この席上で霧島が捏音たむ幻の作品「Atmosphere完成版」を配布したとのトンでもない噂もあるが、たぶん高確率でガセ。ただ、彼ならば持っていても不思議はないと思わせるものがある。現在ではIrisとの繋がりも囁かれるが詳細不明。

VI chronology

残酷な木之本のテーゼ(2000?)
偽Kanoso(2000?)
AIR〜プラチナ〜(2000/10/04)
さくらのTo-Heart(2000?)
怪傑エヴァンゲリオン(2000?)
異種格闘技戦(2000?)
嘘つき…(2001?)
俺の巫女さん応援歌(2001/02/04)
マシンメイディンOP捏造版(2001/05/15)
作者の嫉妬(笑 ≪音声MAD≫(2001/05/27)
やきいもDEMO捏造版(2001/09/27)
AIR_Platinum_Another(2001/11/28)
Tears_The Long GoodBye(2002/05/29)
マナ、心の向こうに_finalβ(2003/03/22)
The End of Childhood(2003/12/1)
Sylphus Verschwinden(2004/07/13)

VII reference link

Thank You for...

フェアリィ情報局
霧島緑引退記念インタビュー
Skyscraper
凍音
M@D黒歴史

□みなさんのおすすめむび過去ログ・他



■記載内容はWeb情報などに基づいて記載されておりますが、内容の正確さを保証するものではありません。
■このサイトは「墓碑銘」であり二度と更新される予定がありません。ただし、誤字脱字、記載内容の明らかな誤り、映像のリンク切れなどがあった場合は訂正することもあります。
■転載、リンクはお好きにどうぞ。連絡も不要です。